仏から私

 念仏は、たくさん称えてその見返りとして救いが与えられる、というものではありません。念仏を称えるということは、必ず救うという仏さまの願い(本願)を受け容れている姿であり、仏さまの救いのはたらきに包まれているということを意味するのです。
 親鸞聖人は、法然聖人から教えを受け、私が一生懸命修行をして仏のさとりに近づくという、「私から仏」という方向(自力)から、仏さまの救いのはたらきを受け容れるという「仏から私」の方向(他力)へと、180度の転換がなされ、救われたのでした。それは、「真実を体得し、真実に生きる生き方」から、「真実を仰ぎ、真実に生かされる生き方」へと転換されたと言ってもいいでしょう。〜高校生からの仏教入門

 自力と他力の違いが、解りやすく述べられているなと思います。(kosizu)