2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

信楽とは 

「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。(尊号真像銘文)阿弥陀仏の本願まこととなったのが、信楽ということだったのですね。(kosizu)

如来の大悲 

こしづです。このブログに時々お邪魔します。今日は子供に誘われて、久しぶりにドッジボ-ルをしました。知らず知らずの内に、子供が喜ぶボ-ルを投げることに専念していました。阿弥陀仏は、十劫の昔からただ私を助けたい一心で、私に南無阿弥陀仏を与えて下…

二種深信とは

前回のエントリーで書いた信心です。

できないこと

自力で自力を捨てることはできません。願力によって捨たったのです。

しっくりする

一味の人とは、教学や表現力や性格はまちまちでも、要のところが不思議としっくりするのです。ましてや身内となればなおさらです。

仏恩の深きことを感ずるほどに、阿弥陀仏の救いのみを勧めて下された先生方の恩を感じるのです。

あさましきこと

わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬはあさましきことなり。(御一代記聞書六五) 真っ先に妻子、父母兄弟、共に往生一定の身に。阿弥陀仏の救いはただ今の救いですが、無常もただ今待ったなし、急がねばなりません。

伝えたい

阿弥陀仏のあたたかい心を下されているから、阿弥陀仏のあたたかい心を人に伝えたくなります。

更新

先日の日曜日は、仕事の研修行事に参加しました。これを修了すると、ある特定の機器を1年延長して扱うことができます。1年に1度の継続研修です。 ひとたび阿弥陀仏に救われると、おかまいなしに往生が定まってしまいます。何とも有り難いことであります。

すること

昼夜朝暮は、如来大悲の御恩を雨山にかうぶりたるわれらなれば、ただ口につねに称名をとなへて、かの仏恩を報謝のために念仏を申すべきばかりなり。(御文章2帖目4通)

よかれ

相手に「よかれ」と思ってすることが、ときには裏目にでることがありますが、 阿弥陀仏に対しては、「よかれ」そのものが捨てものです。

勝率

阿弥陀仏のおはたらきは常に先手であるから必ず救われるのだと思います。将棋でいえばこちらは打つ手はただの一手もなし、といったところでしょうか。 将棋は先手有利と言われていましたが、プロの対局で2008年度に初めて後手の勝率が先手を上回りました。と…

ちょっとのこと

店員さんA「弁当あたためましょうか?」 私 「(あたためなくても)いいですよ。」店員さんBとの会計を済ませてふと見ると、弁当がレンジであたためられていた・・・。ちょっとのことでかみ合わないものです。