庄松同行

「お浄土をもってござる仏さまの、必ずたすけるといわれるおおせにしたがうよりほかに手はないではないか」    〜〜〜
 信心とは、自分の信仰体験を信ずるのでもなければ、人の言葉を信ずることでもありません。わがいのちの行方について、何一つ思い定める力をもたないわたくしを、必ず救うて浄土にあらしめるとよびたまう大悲招喚の勅命を聞受するほかにわが心の定まる道はないのです。勅命のほかに領解はない。庄松はそれをあざやかに云い切っているわけです。〜妙好人のことば
その通りだなあと思いました。(kosizu)