念仏のはたらき

 南無阿弥陀仏と称えることは、人間の欲望を満たすための祈りではありません。むしろ人間の我欲の醜さを知らせ、人を呪い、怨む心の浅ましさを気づかせて、我欲、私情のために、人間だけではなく如来までも利用しようとしていることの愚かしさに気づかせるのが、本願念仏のはたらきだったのです。            聖典セミナー教行信証[教行の巻](梯 實圓著)より
 念仏を称えるよう心がけたいと思いました。(kosizu)